2018年1月9日火曜日

家族旅行

謹賀新年。
本年も宜しくお願いします。

年に一度の家族旅行、今年は

大分に行きました。
行き先はサファリパーク、うみたまご(水族館)、
そして温泉プールがある杉乃井ホテル。
特に、サファリパークでは家族で大興奮。
バスで園内を移動し、
金網の中から動物達に餌をあげます。
息づかいとか独特の仕草に、大興奮します。

子供たちも真剣な眼差し。
妻も自由研究の写真とりに真剣(笑)


うみたまごでも、同じ魚でも展示方法が違うだけで
新たな興奮を与えてくれます。

大きなピラルクと背比べするムスコ

ムスメはギョロ目のセイウチとにらめっこ

私が小さい頃は、家族で旅行なんていう贅沢は
ほとんどの家がしていなかったと思います。
ところが、最近では当たり前のように、
毎年海外とか毎年ディズニーランドとか聞きます。
お金と時間の使い方が変化しているのでしょうが、
仕事も大事ですが、家族との時間を大事にする感覚は
私にとっても心地よく、子どもの「今」に向き合える贅沢を
実感しています。


本年は、猛吹雪の日も何度かあり、
雪の降る量はそこそこあるものの、
気温が高めに推移していることもあって、
積雪量はそれほどでもないです。
雨の降り方と同じく、雪の降り方も極端になってます。
冬休みがあと1週間あるので、そこまでは休みにするとして、
仕事は1/16からスタートします。
もう少し、休みます^^

2017年12月20日水曜日

家族写真




毎年恒例の家族写真、今年も撮りにいきました。
少しずつ成長していく姿が、とても嬉しくなります。

アフロさん、いつもありがとうございます!

2017年12月19日火曜日

経済理論の良し悪し

冬は、色々な情報が目にも頭にもとまります。
オンシーズンでは、目に止まっても、
頭の中はアスパラでいっぱいなので、
すぐに消えてしまいます。

今回は経済理論を語ろうという訳ではありません。
経済性が伴うのが自営業の宿命というか、
理念と理想だけでは事業は続けられません。

いつも思うことのひとつに、
「いいアスパラをつくり、
いいアスパラを食べたいと思っている人に、
いい状態で食べてもらうにはどうしたらいいか」
があります。
これを追っていると、いい生産者に出会って研鑽でき、
いい流通業者と交流して情報交換ができ、
いい小売店に品定めをしてもらったり、
いい消費者から厳しい意見をもらえたり、
色々といいことがあります。
ここに経済性もついてくるので、経営が成り立ちます。

でも、それだけでは、ここの経営はよくなっても、
社会はよく回らないと思ってます。
子どもにいいもの、栄養あるものを食べて欲しい。
そのためには収益なんか度外視でいいから、
給食や食費に困っている家庭に野菜や果物を届けたい、
そう思ってます。
これは、上記のようないいサイクルを生まないことが多いです。

その理由のひとつに、経済性が伴わないことが多いからだと思います。
私がそう思っていても、届けたい子供たちと私をつなぐ
体勢が整っていないのです。
「お前がやればいい」という乱暴な理屈はここでは無視します。
だって、それやってたら私がモタナイ。
社会で解決したいことのひとつだと思ってます。

本来は、規格外とかキズ物の青果物は、
そういう流通に乗るのが相応しいと思います。
農家や加工業者が経済の理屈をかざして利用するのではなく、
困っている人や、大事な身体をつくっている子供たちに。
その仕組みはこれから作れるのかな。
10年間農業をやってきて、
ずーっとぼんやりと頭から消えないことのひとつです。
我々は実践者たる経営者でありながら、
社会の困りごとを解決することを生業としているとも言えると思います。
ひとつの恩の還元方法として、模索します。


12月中旬でこの雪は、久しぶりの大雪の予感。


子供たちは17日に初滑り。


そして夏に出来ない食べ歩きができる冬。
札幌を離れて10年にもなるため、尊敬する小西さんの
著書をもとに出かけたいと思います。
(アスパラの発送先がたくさん掲載されているのも嬉しい^^)

2017年12月17日日曜日

正義の違い

重いタイトルですね。
しかも少し抽象的な話なので、まったく面白くありません。
書いていても退屈ですが、少し頭を整理したくて。
正義とは、個人個人で違うものだというのが、
私の考え方です。

だから、絶対にこれが正しい、というこはありえない。
それぞれの大事にするポイントと、
それぞれの優先順位と、
それぞれの主張があって然りです。

ある忘年会にて、「農協の組合員にとって
どういうことが良いことで、
どういうことが悪いことなのか」
と言ったことが話題になりました。

農協の組合員なら、農協に全て出荷することが
絶対に正しいことで、それ以外は悪いことなのか?
例えば、10トン収穫して全量出荷する人と、
20トン収穫して15トン出荷する人なら、とか。
出荷するけど販売価格が原価割れでも出荷すべきか、とか。
どうしようもない議論になる。

何が言いたいかというと、怒鳴りあっても意味がなくて、
現状を正しく認識することと、
それを踏まえてどうやって進んでいくかを、
広い視野から考えるべきなのです。

それが自分のことだけって見えた時点で、
その人は僕にとって許せない人になります。
そうなっては議論にならないので、
なるべくそういう部分は見ないようにしているのです。
小さい街では、見えなくてもいい部分まで見えてしまいます。
ますます口と目を閉じたくなるようなことが。

さらに、実は私も論理的な議論が得意ではありません。
感情で言ってしまうし、感情的にこられたら感情で返してしまいます。
だから、そういう風にならないように、
自分と違う意見や、自分の正義に反する話は、
なるべく他人事と思って話を聞くようにしています。
たった一言で、積み重ねてきた全てを崩壊させることが、
どこの社会でもよくあります。
その一言をよく発してしまうようですが、
その一言を言われる準備はしているほうだと思います。
せめて私からは感情で返さないように、と。

街を俯瞰しているとか、偉そうなことを言っているつもりはありません。
色々なことに、色々なひとが気づくには、
もう少し時間がかかるし、
もう少し色々なことが壊れてからじゃないと取り組めないと感じてます。
色々なことに甘えている農家には、そうも見えます。

2017年12月6日水曜日

冬の入り口

毎年恒例の女子のお泊まり会!
かわいいことに、全員でシンデレラを演じてました!



外で雪遊びができるようになり、駆り出される。

スキーするのは楽だけど、雪原で想像力を働かせて
遊ぶというのはなんて難しいんだ、と痛感。
子どもは何でも遊べてすごいなあ。


やっぱり2人で遊ぶのは大好き。


ようやく50cmくらいは積もったかな。
20kmくらい離れた地域ではすでに1mくらい積もっているので、
こちらは少ないほうです。


防風の中、名も知らぬ鳥が一羽休みにきてました。
寝室の窓の物干し金具に。

失敗は怖いか

失敗することへの恐怖。
これは失敗がその後に及ぼす影響も然ることながら、
自信喪失や信用失墜など、様々なことへ波及する。

金銭的にも精神的にも、この失敗をしないことが一番。
だが、小さな失敗という名の「経験」こそが、
ある種の成功のためには非常に大きな意味を持つと思う。

失敗を怖れることこそ、自己成長には障害となる。
失敗をわざわざすることはない。
というよりも、賢い人や良く考える人ほど、
失敗しないように事前に予防線を張る術をよく知っている。
その予防線を張るアンテナのようなものは、
机上の勉強や情報収集、失敗などの経験からくるものだろう。

それでも、失敗はおこる。
私が思うのは、経営者としての失敗と、
従業員としての失敗の、ことの大きさの差だ。
従業員としての挑戦は、失敗の責任は社長がとるので、
気軽に考えられる反面、取り組む事業の規模も小さくなりがち。
経営者の挑戦は社運を左右するため、
失敗の責任も規模も大きくなりがち。

事業継承を受けて2年、これまでよりも好きなことができる反面、
ひとつひとつの選択・決断には熟考を要している。
数も多いので、ある程度のスピードの中で
的確な選択をしていく作業、本当に日々の小事が大事だ。

話が逸れてしまったが、失敗することはある、と言い切れる。
なぜなら、最後の結果が良く出るか悪く出るか、半分は運によるからだ。
失敗を糧にしろ、というのは簡単だが、
失敗のショックから立ち直るだけでも大変だ。
それでも尚、失敗をしてでも挑戦した方がいい。
なぜなら、自分を成長させるのは挑戦であり、
挑戦には失敗がつきものだからだ。

上手くいってる時には、見えにくいのが失敗だ。
失敗する可能性は常にあるし、
その傾向なんて至る所から見えているし、
失敗するかしないかは紙一重のことがほとんどだ。
どこに落とし穴があるかわからない。

失敗することは、恥ずかしくないし、隠すことでもない。
それをもとに、助けが得られたり、仲間が増えたり、
誰も見つけられなかった解決策を見つけたり、
これまで見えていなかった世界と出会うきっかけにもなる。

失敗は怖くないので、挑戦しましょう、という話・・・?
というわけでもないのだけれど、
考えて、人のために挑戦していくことは、
結果がどっちにころんでも自分を成長させるし、
あとあと良い方向に進むことが多い、と言い切れる。